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サムスン電子で起きたこと(後編)  調査報道シリーズ /化学物質の脅威④

サムスン電子で起きたこと(後編)  調査報道シリーズ /化学物質の脅威④

~サムスン電子の工場で白血病はなぜ多発したのか 【後編】~

2014年10月22日、私は韓国で取材した取材した化学物質被害について報じ、それを講談社の「現代ビジネス」に書いた。これはその後編で、編集部の許可を得て再録。(立岩陽一郎)

韓国政府の調査責任者を直撃

韓国での白血病の発症率は、10万人あたり1人~2人となっている。サムスン電子の工場で従業員が白血病になったケースを疫学調査したところ、この数値を上回らなかったとされた。しかし前述の通り、調査結果の根拠となった具体的な内容は明らかになっていない。

では実際に、どのような調査が行われたのか。私はそれを指揮した人物に接触することができた。

その人物は当時、産業安全保健研究院の幹部だった。前述したように、産業安全保健研究院は、疫学調査を行った政府の機関である。

8月28日の夜、ソウル駅近くの宮廷料理屋に現れた元幹部は、さほど緊張した様子を見せず、名刺交換に応じてくれた。

席に着くと、まず裁判の結果について、「我々は科学的、客観的に調査を行いました。裁判所の判断は、裁判所の判断として尊重されるべきでしょう」と語った。そこには、抗弁するかのような気負いは感じられなかった。調査が科学的だったことと客観的だったことに、自信を持っている様子だった。

では、なぜ疫学調査の内容は開示されないのか? 私が問うと、元幹部は落ち着いた口調で答えた。

「それは私の判断ではなく、勤労福祉公団の判断です。そして、私はもう産業安全保健研究所の人間でもありません。今の私が言えることは、繰り返しになりますが、当時の我々の調査が科学的かつ客観的なものだったということです」

こうしたやり取りが何度か続いた後、私はある人物の名前を出してみた。大阪の胆管がん多発事件で、その発症率が異常に高いものであることを疫学調査で確認した熊谷信二(産業医科大学教授)だ。胆管がんの多発は、熊谷の綿密な調査がなければ社会問題として取り上げられることはなく、私が報じることも難しかったと思う。

当時のことを思い出しつつ、私はこんな話をしてみた。

「熊谷先生という方は、疫学調査をするとき、研究室に籠もって寝食を忘れ、延々と計算を続けるんです。いったんそれを始めると、横に私がいてもまったく気にしなくなる。気の遠くなるような作業ですが、真実に近づこうとする科学者の気骨を見たような気がしました」

すると、これまで滑らかに話していた元幹部の表情に変化が見えた。やがて、おずおずとこう尋ねてきた。

「立岩さん、あなたは熊谷教授をご存じなのですか?」

「はい」

「日本の大阪の印刷工場でがん発症の原因となった化学物質がありますね。ええと・・・」

元幹部が思い出そうとしていたのは「1,2-ジクロロプロパン」のことだ。私たちが胆管がん多発事件の真相を追う中で、印刷会社の元従業員への取材から特定した洗浄剤の原料である。

「『1,2-ジクロロプロパン』ですね。それが今年6月に、IARCで人への発がん性が認められる物質(グループ1)として指定されたことを知っていますか?」

と私が問うと、元幹部は心なしか前のめりになったような姿勢で答えた。

「はい。そのために熊谷教授が奮闘されたことも、日本政府が威信をかけた積極的な対応で発表に臨んだことも知っています。リヨンで開かれたIARCの会合では、参加した政府関係者、研究者がスタンディングオベーションで熊谷教授に敬意を表したんですよ」

「そんなことがあったのですか」

私は少し驚いた。今年6月3日から10日まで、フランスのリヨンで開催されたIARCの研究者会合で、前述のように1,2ジクロロプロパンが「人への発がん性が認められる物質」に指定されたのだが、これは熊谷の尽力によるところが大きい。私はその結果をNHK の国際放送「World News TV」で報じたが、会合で熊谷がスタンディングオベーションを受けるという晴れがましい場があったとは知らなかった。

「因果関係はわからない」からくり

熊谷への敬意で元幹部と一致点を見出したところで、私はこんな質問を投げかけてみた。

「熊谷教授は私に言いました。発症率を計算するときは、分数の分母と分子に何を入れるかを間違えたら正確な結果は出ない、と。あなたには説明する必要もないと思いますが、分母とは化学物質にさらされた人すべての数、分子とはその中で病気を発症した人の数です。ファン・ユミさんのサムスン電子のケースでは、分母は何だったのですか?」

すると、元幹部はふっと何かを諦めたような表情になってこう答えた。

「調査はいろいろな観点から行いましたが、分母には、韓国国内の半導体産業の工場で働く就労者すべての数を入れました」

「え? サムスン電子以外の企業も含めた、韓国の半導体工場で働く人たち全員ですか?」

「はい。(白血病の発症を)詳しく調べるためには、全体を対象にする必要がありますから」

「で、分子はファン・ユミさん1人だったのですか?」

「はい・・・」

サムスン電子の半導体工場で働く社員だけで、5万人規模に上る。他の大小合わせたさまざま企業の半導体工場の分も合わせると、それをかなり上回る数字になることは容易に想像がつく。その数を分母にし、ファン・ユミ1人だけを分子にすれば、白血病の発症率は当然ながら、10万人に1人~2人という韓国社会全体の数字と同レベルか、それを下回るものになるはずだ。

そして、分子の数が1というのも明らかに不適切である。なぜなら当時すでに、ファン・ユミの同僚数人も白血病で死亡していることが報告されていたからだ。

「分子がファン・ユミさん1人になっているのはおかしくないですか? 彼女の同僚たちも白血病で亡くなっていたわけですよね?」

私は思わず身を乗り出して尋ねていた。「サムスンの半導体工場での白血病発症率を低く算出していた”数字のからくり”の正体がやっとわかった!」という思いで頭が一杯だった。

私に切り込まれても、元幹部が表情を変えることはなかった。しかし、次の言葉は、かなりの覚悟を持って口にしたと思われる。

「実は、その(ファン・ユミ以外にも白血病を発症した従業員がいるという)情報が我々のところに寄せられたのは、調査結果がまとまった後だったのです。驚いた私は『これでは結果が大きく変わってしまう』と部下を叱りました。しかし、すでに記者会見も設定されていたので、今さら発表を延期することはできませんでした」

「それで、そのまま発表したのですか?」

「いえ、正確には私たちは、『因果関係はない』とは言っていません。『因果関係についてはわからない』と発表したのです」

元幹部も科学者だ。その立場上、苦渋の選択をした末に行った発表だったのかもしれない。しかし、会見に出席した新聞やテレビの取材陣には、政府が「因果関係はない」としたと受け取られた。その場にいた医師のコン・ジョンオクは、当時の状況を今も覚えている。

「産業安全保健研究院は会見で、いきなり『科学的な顕著さ』などという言葉を使って説明を始めたんです。記者は皆、そんな専門用語で言われても何もわかりません。私は会見場で、『記者たちにもわかる言葉で説明してください』と発言したのですが、対応してくれませんでした」

コンは、私が元幹部の名前を告げると、「その人物も会見にいました」と証言した。

結局、「職場に問題はなかった」とするサムスン電子の主張が、政府のお墨付きを得たと一般には理解されることになった。その事実が、他の労災申請を却下する根拠にもなっていく。私は元幹部にこう尋ねた。

「『正しいデータに基づく結果は出ていない』という事実は、明確に示すべきだったのではありませんか?」

「ですから、私たちは『今後10年間にわたって調査を継続する必要がある』と会見の資料に記したんです」

記者会見の資料はかなりの分量になったという。その隅々まで詳細に読む記者が何人いるだろうか、と私は考えた。それは日本か韓国か欧米かを問わず、日々のニュースに追われる大手メディアの記者にとっては事実上、困難なことになっている。「それを見越しての対応だったのですか?」とまでは、ひそかに良心の呵責に悩んでいるかもしれない元幹部には聞けなかった。

サムスン共和国 本社前で囲まれた

この取材を進める上で最も重要だったのが、サムスン電子への取材だった。大阪で胆管がん多発事件を取材したときは、印刷会社は私の取材依頼に応じなかったが、代わりに弁護士が対応した。サムスン電子はどうだろうか?

心配は杞憂だった。取材を申し込むと、サムスン電子は私がソウルに行く前から、電子メールで英文のやり取りに応じてくれた。そしてソウルに到着した8月26日には、メールの相手、すなわち広報セクションの幹部と会うことができた。

名前から、相手が女性であることはわかっていた。同日午後5時に、カンナムのサムスン電子本社のロビーで待ち合わせた。登場したのは、絵に描いたようなスラリとした美人キャリアウーマンだった。ある意味、想像通りといったところだろうか。

アメリカのミシガン大学でMBAを取得したという彼女は、予想通り英語を流暢に話し、予想に反して敵対的ではなかった。本社ビルの地下に広がるショッピングアーケードに連れて行かれ、お洒落な喫茶店で向き合うと、彼女は私が話す取材の趣旨を聞きながらメモを取った。そして、こう尋ねてきた。

「なぜ、日本のジャーナリストがわざわざサムスン電子のことを取材に来るのですか?」

「これは韓国のみならず、日本でも、現代世界のどこでも起こり得る問題だからです。私にはサムスン電子を敵視する意図はありません。私がジャーナリストとして声を大にして伝えたいのは、我々が日常生活で使う多くの製品が化学物質なしには製造できず、その扱いを誤れば、製造ラインにいる人々に深刻な健康被害を及ぼす恐れがあるという点です。

もちろん、サムスン電子が世界的な影響力と知名度を持つ大企業だということは、取材の理由の一つではあります。ただ、大切なことなので繰り返しますが、これはサムスン電子だけの問題でもなければ、韓国だけの問題でもないんです」

彼女は私の意図を理解してくれたらしく、取材に応じる方向で調整すると答えた。そして別れ際には、

「サムスン電子は良いこともたくさんしています。そういう面も取り上げてくれると嬉しいんですけど・・・」

と言って、複雑な表情を見せた。私は「もちろん、そういう面があることもわかっています」と答えた。

このように広報セクションは理解する姿勢を見せたが、実際には、サムスン電子の取材はそう簡単には進まなかった。まず、映像取材がきわめて困難であるという事実を、すぐに突きつけられた。

先の広報幹部と会った翌日、サムスン電子本社ビルの外観を撮影に行ったときのことだった。

本社ビルと道を挟んだ反対側の歩道で、現地で雇った韓国人カメラマンが撮影用のビデオカメラを構えた。その途端、カメラマンは3人の屈強な男性に囲まれた。彼らはカメラを降ろすよう指示し、「どこの会社から来たのか?」「何の目的でカメラを構えたのか?」などと矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。

私はすぐに、日本から来たジャーナリストであることと、建物の外観を撮影する許可を広報から得ていることを伝えた。すると、「広報の誰の許可か?」と問い返してくる。尋問口調だった。

思わず私は、カメラマンに「公道で撮影しているのに、なぜこんなに居丈高に言われなきゃならないんだろう」と日本語で愚痴をこぼした。彼は「サムスンですから」と苦笑いで応じた。

結局、前日に会った広報幹部が説明してくれて、本社ビルの外観を撮影することができた。公道から建物を撮影するという、通常なら1時間もあればできる作業に半日もかかってしまった。この体験に、サムスン電子の、韓国内での存在の大きさを改めて痛感した。

取材に応じたサムスン電子

その後、サムスン電子から、亡くなったファン・ユミが働いていたキフン工場を案内するという返事があった。内部の撮影は一切認めないという条件だったが、それでも記者が見る価値は十分にある。ソウルから車で2時間余り、世界遺産の城塞で有名なスウォンを越えて向かったキフンは、サムスン電子の”城下町”だった。

サムスン電子のHPから

サムスン電子が半導体に本格的に参入することを決めた1980年代に、原野を切り開いて作ったキフン工場。同社の半導体部門の心臓部だ。セキュリティを通過すると、まずは事務棟に案内された。そして、30人ほどが座れる広い会議用テーブルのある部屋に通された。

前述した広報幹部の他、キフン工場の広報部員数人が同席した。全員が女性だった。

最後に、環境衛生部門のトップを務める男性が顔を見せた。彼は英語を理解しなかった。後で知ったのだが、ファン・ユミの死亡に際してサムスン電子側の窓口として対応したのはこのトップだった。彼の対応が父親のファン・サンギの怒りに火をつけるものだったとは、私が見た冷静な物腰からは想像すらできなかった。

彼が席に着くと、司会役のキフン工場の広報部員が、テーブルに設置されたマイクに顔を近づけてこう切り出した。

「今日はお越しくださいましてありがとうございます。まず、サムスン電子の取り組みを説明させていただき、その後でご質問に答えたいと思います」

丁重な対応ではあった。しかし、今回のような、非常に細かい部分まで正確さを求められる取材で、相手の主張を報じるに当たって、プレゼンのような形で説明を受けるのは避けたかった。しかるべき立場の人にインタビュー取材に応じてもらうか、文書による回答をもらう形が望ましい。そうしないと、説明をする側と受ける側の間で認識のずれが生じやすくなり、報道後にトラブルになる恐れがあるからだ。

そのため、会議用テーブルでのやり取りでは、事実関係を確認させてもらうだけに止め、「ファン・ユミの白血病の原因が職場にある」とした裁判所の判断についての見解は、別途、インタビュー取材に応じるか文書による回答で示してほしいと重ねて求めた。すると、インタビューには応じられず、文書による回答を出すというのがサムスン電子の返事だった。私の方はそれで十分だった。

工場見学は興味深いものだったが、すでに内部の環境はファン・ユミが働いていた当時から大きく変わっていると、父親のファン・サンギから聞いていた。彼もファン・ユミの死後、工場の見学を許されている。しかし、娘から聞かされていた工程は、もうその時点でなくなっていたという。

私が見たときも、すべての洗浄作業が自動化されていた。ウェハーと呼ばれる基盤の束を従業員が直接洗浄することはなく、完全密閉型の大型の洗浄機械に入れてスイッチを押すだけだった。

「洗浄のための化学物質に従業員が暴露する可能性はないんですか?」

と尋ねると、案内してくれた担当者がすかさず答えた。

「まったくありません。万が一、漏れた場合のために検知器も設置されています。しかし、検知器が作動したことはありません」

ガラス窓から、洗浄の現場の様子は確認できた。大きな機械の中で、かつてファン・ユミが抱えて洗浄剤に浸けていたウェハーが、人の手を借りずに洗浄されていた。作業服に身を包んだ従業員は、今、運ばれてくるウェハーを機械に入れるのが仕事だという。そして機械の中の様子をチェックする。

そんな説明をしながら、担当者は何度も「従業員が化学物質に暴露する恐れはありません」と繰り返した。それが何を意味するのかを考えるうちに、やがて私の気持ちは沈んでいった。ファン・ユミが、本来なら絶対に暴露してはいけない危険な化学物質にさらされていたことが、彼の度重なる説明から図らずも確認できたように思えたのだ。

「氷山の一角」

9月11日、韓国政府は判決を受け入れて上告を断念した。ファン・ユミの労災が確定したのだ。ファン・ユミと前出のイ・スギョンの2人について労災が確定し、敗訴した3人については裁判が続くことになる。ファン・サンギは「今後は、娘と同じような境遇の人の支援をしたい」と話している。

医師のコン・ジョンオクは、仲間たちと被害者のための支援団体「パノリム」を立ち上げた。パノリムとは、「もう一歩上」といった意味で、「被害者や遺族と一緒になって頑張ること」を申し合わせての命名だという。

コン・ジョンオク医師

コンによると、ファン・ユミらに続いて、発症した白血病について労災申請しているサムスン電子の元従業員やその遺族は、40人近くになる。それ以外に、サムスン電子の現職の従業員も含め、約200人から支援について問い合わせが来ているという。

コンは、「まずは敗訴した3人についてしっかり支援したいと思っています」と前置きしてから続けた。

「工場でどのような化学物質をどのくらい使っていたかといったことを、原告の側が調べるのは困難です。まして従業員が死亡していては、遺族にとっては事実上、不可能な作業になります。だから、サムスン電子には情報公開に応じてほしいんです」

サムスン電子からのコメントは、約束通り、私が日本に帰る日にメールで送られてきた。それは英文で次のように書かれていた。

「家族同様の従業員の突然の死に、大きな衝撃を受けています。当社としては、家族の一員である遺族のために、専門家とも相談しながら、できる限りの対応をしていく所存です」

そして、化学物質についてはこう書かれていた。

「サムスン電子は、使用する化学物質について、常に法律に基づいて適切に管理しています」

サムスン電子は2011年、キフン工場に従業員の健康管理のための巨大な施設をオープンさせた。従業員の健康を科学的に調査・研究して、その向上を図るのだという。

「これだけ立派な施設を持っている会社は、欧米の著名な企業でもありませんよ」

キフン工場で取材に応じた環境衛生部門のトップは、そう言って胸を張った。もちろんそれは、サムスン電子が企業として、従業員に対する責任の一つを果たそうとしていることの現れなのだろう。

しかし、かつて同社のために懸命に働いたにもかかわらず、職場環境のせいで白血病にかかってしまった従業員たちへの対応の方に先に取り組むべきではないか、というのも率直な感想だ。医師のコン・ジョンオクは言う。

「私たちが(サムスン電子に)求めているのは、ものすごいお金をかけた施設の建設ではないんです。求めていることはただ一つ、もう少し、被害を受けたと叫んでいる人たちの声に耳を傾けてほしいということ。サムスン電子はそろそろ気づいた方がいいんです。ファン・ユミさんのケースは氷山の一角でしかないということに」

続く

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