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印刷業界で多発した胆管癌(前編)  調査報道シリーズ/化学物質の脅威①

印刷業界で多発した胆管癌(前編)  調査報道シリーズ/化学物質の脅威①

~便利な社会の裏側で労働者の健康が蝕まれている実態~

 大阪市の印刷会社の従業員や元従業員の間に、極端に高い率で胆管がんの患者が見つかったことがあった。それは2011年。なんだろう?何もわからない状況で取材を重ねた結果、それが工場で従業員が使っていた化学物質が原因であることを突き止めた。当初は対応に消極的だった政府も重い腰をあげ、結果的に多くの人が労災認定を受けることとなった。それは同時に、社会に化学物質の恐ろしさを伝えるものとなった。
 そして今、私は新たな化学物質の被害を取材している。それは40代の男性に起きた悲劇だ。男性は衣料品メーカーの従業員。タバコは吸わない。ところがある日、突然、体調を崩す。そして病院で告げられる。

「膀胱がんです」

ショックを受けた男性は、治療を続けながら調べ始める。そして、医療関係者や労働災害の専門家などに意見を求めた。その中にジャーナリストの私も含まれていた。男性は労災を申請したが却下される。再審査も求めるが、これも却下。その書面を読むと、労働基準局がどこまで誠実にこの案件に向き合っていたのか疑問に思う。因果関係どころか、男性が主張していた作業そのものに男性が就いていなかったという会社の主張を鵜呑みにしているからだ。これは極めて危険な状況だ。
 よく、「会社の利益を優先して従業員を犠牲にしてはならない」という言葉をはく人がいる。しかし、現実には、そうはなっていない。化学物質被害のような、目に見えにくいケースでは、それが顕著だ。
私は再度、この問題に向き合い、社会に警鐘を鳴らす必要性を感じた。そしてまた調べ始めている。
 ここでは、この男性のケースを掘り下げる形で、化学物質の被害についてシリーズで伝える。そのシリーズを始めるにあたって、先ずは講談社の「現代ビジネス」に当時連載した記事を編集部の許可を得て再録する。
 先ずは化学物質被害が如何に判明しにくいものか、そして如何に健康被害が起き、それが放置されているかを知って頂きたい。再録のため、肩書、年齢は当時のままであることをお断りしておく。(立岩陽一郎)

若い労働者

2011年10月4日の朝、本田真吾(30歳)は、大阪市阿倍野区にある大阪市立大学付属病院に入った。

元気な時の本田さん(本人提供)

受付までにはまだ時間がある。1階奥にある喫茶店に入った彼は、コーヒーと菓子パンを口にしながら話し始めた。

「今日これから入院して、明日から検査です。先生からは『ご両親にも来ていただくように』と言われました。両親は後で着替えなんかを持ってきてくれます。もう僕も30なのに、入院に両親の同意が必要なんですかねぇ・・・」

本田は不安そうな顔に、無理に笑顔を作って話した。彼も、入院の手続きのために両親が呼ばれたわけではないことを知っているのだろう。

検査の目的は、胆管がんの有無の確認だ。胆管とは、肝臓で作られる胆汁を十二指腸に送る細い管のこと。肝臓の内側から伸びており、内側を肝内胆管、肝臓の外に出ている部分を肝外胆管と呼ぶ。

本田はすでに胆管炎を発症している。そして腫瘍が見つかっている。カルテに「胆管がんの疑い」と書き込まれたときは、打ちのめされたような気持ちになったが、「今は落ち着いています」と言う。

「明日の検査が終わったら、連絡します」

食べ終わると、本田は入院の手続きに向かった。

洗浄剤として使われる大量の化学物質

本田が大阪市中央区にあるSANYO-CYPという印刷会社に入ったのは2000年4月。高卒者向けの合同就職説明会で話を聞き、印刷業に魅力を感じたからだった。

この会社が専門にしていた「校正印刷」とは、ポスターなどの印刷物を刷る前段階の、色合いを確認するための作業だ。赤、青、黒、黄の4色のインクを順番に、ブランケットと呼ばれるローラーに伸ばして印刷する。赤を刷った後は、赤のインクを洗い落とす。そして青を載せる。青を刷った後は、青を洗い落として黒、黒の後は黄・・・という風に作業が続く。

こうして、数枚刷るごとに洗浄剤でインクを洗い落とす、という作業を繰り返す 。そのたびに、洗浄剤をボトボトと布にかけて染み込ませ、それでブランケットを拭いていく。

作業場は地下1階。中は洗浄剤の強い刺激臭が立ちこめていたという。

「きつい刺激臭でした。洗浄剤を使うときは、息を止めてやっていました」

本田は当時を回想する。洗浄剤を使う頻度は半端ではなかった。

本田が働いていた100㎡ほどの作業場には、印刷機が7台置かれていた。それぞれの印刷機の下には大きな排気口があり、社長の自慢だった。別の元従業員は、社長がこの排気口を指して、「日本一の換気装置や」と自慢していたのを覚えている。

しかし、この排気口は十分な空気を吸い出してはいなかった。後の厚労省の調査で、この排気口の吸い出していた空気は、すべてを合わせて毎時1200立方メートルだったことがわかっている。その4倍の空気を吸い出していたメインの排気口は、これとは別に壁などに設置されていたが、その空気は外部には排出されていなかった。吸い出された空気は部屋に戻されていたのだ。

これには理由がある。印刷業にとって避けたいのは紙の収縮だ。そのため、湿度と温度は一定でなければならない。排気口は、その湿度を取り除くための装置であり、空気を取り換えるためのものではなかったのだ。

死を感じた若者

入社から6年経った2006年5月、本田は健康診断の結果を聞かされて驚いた。肝機能の状態を示す「γ-GTP」の数値が1000を超えていたのだ。γ-GTPの成人男性の通常値は50以下とされており、100を超えるとすぐに病院に行かねばならない。本田の数値は、さらにその10倍になっていたのである。

慌てて病院に行って検査を受けると、「胆管が炎症を起こしています」と告げられた。

そのとき、本田の脳裏に一人の先輩の姿が浮かんだ。

「そういえば、柳楽さんが・・・」

兄のように世話をしてくれた先輩の柳楽正太郎だ。その2年前にがんで倒れ、27歳の若さで死亡していた。

「確か、柳楽さんは胆管のがんだって言ってたっけ」

ショックに追い打ちをかけるように、さらに記憶がよみがえってくる。柳楽が亡くなった翌年にも、もう一人の先輩が死亡していた。その先輩も胆管のがんだった・・・。

「このままでは僕も死ぬんじゃないか」

そう思った本田は会社を辞めた。新たな仕事の当てはなかったが、とにかく死の恐怖から逃れたい。その方が先決だった。

それから6年。恐れていた事態が現実となってしまった。胆管がんの疑い。本田は横になった病室で、今後に大きな不安を覚えずにはいられなかった。

この先進国の日本で起きている信じられない事態

この問題は最初、大阪で労働問題に取り組んでいるNGO「関西労働者安全センター」に持ち込まれた。昨年3月のことだ。

同センターでは事務局次長の片岡明彦が応対した。片岡は、アスベスト被害の追及で知られる労働問題のプロである。

持ち込まれた情報は詳細な内容だった。ほぼ同じ時期に同じ職場で働いていた印刷会社元従業員5人が胆管がんを発症し、そのうちの4人が死亡—。労働災害であろうことは容易に想像できた。

「胆管がん? 聴き慣れない病名やな。第二のアスベストか?」

そんな思いが片岡の頭をよぎった。彼はすぐ、産業医科大学准教授の熊谷信二に連絡を取った。熊谷は労働環境における化学物質検査のエキスパートで、アスベスト問題のときには疫学調査も行っている。片岡とは当時から同志といえる関係だった。二人はまず、寄せられた情報の確認を始めた。

医師でない熊谷は、情報確認と同時に、胆管がんという病気についても調べなければならなかった。すると、B型肝炎やC型肝炎などを発症した後に発症することの多い成人病で、50歳未満での発症は極めて稀だということがわかった。

やがて、片岡と熊谷の調べで、印刷現場で使われる洗浄剤に問題がありそうだ、という可能性が浮上してきた。

私が最初に「印刷会社の従業員と元従業員の間で胆管がんが頻発している」という情報に接したのは、昨年の暮れのことだった。片岡が、「ちょっと変な話がある」と言って教えてくれたのだ。

「そんなことが、この今の日本であるんですかねぇ?」

話を聞いても、私はにわかには信じられなかった。

「あんた、中小企業を知らんやろ。そういうことはあると思って調べなあかんよ」

片岡は、あまり乗り気ではない私の姿勢を見透かしているようだった。

実際、私はすぐには取材をしなかった。しかし、何となく気になってはいた。結局、「あの話をもう一度聞かせてください」と片岡に電話を入れたのは、年が変わった今年2月のことだった。

片岡は、元従業員の遺族を一人、紹介してくれた。岡田俊子。息子の浩を胆管がんで亡くしていた。

岡田は浩の遺影の前で話してくれたが、「息子さんは、勤め先の印刷会社で使われていたものが原因で亡くなったらしい」と聞かされてもまだ半信半疑だった。しかし、生前の息子のことを思い出しながら、こうも語った。

「浩は『会社で何人も肝臓を悪くして死ぬ人が出ている。怖い』と漏らしたことがあります。それは覚えているんです。それで急に会社を辞めてね、しばらくして、顔が真っ黄色になって・・・。それからは(病勢の進むのが)速かったです」

「息子さんは、洗浄剤とか、原因などについては話していなかったんですか?」

「いやぁ、何も」

岡田俊子の家は1LDKの集合住宅だ。そこに浩と一緒に住んでいたという。

部屋は浩の荷物であふれていた。その多くは漫画本だった。「漫画はどうするんですか?」と問うと、「処分したい」と言う。

私はその整理を手伝って、漫画本を業者に引き取ってもらうことにした。かなりの量で、業者から岡田俊子にいくばくかの支払いがありそうだった。

その数日後、片岡から電話が入った。

「あんた、岡田さんの家で、浩さんの漫画の処分を手伝ったらしいね。しかし、肝心なところが抜けていたな。引き取った漫画を業者が整理していたら、(印刷会社の)当時の従業員の名簿が出てきたらしいよ。岡田さんに返したそうだけど 」

私はすぐに岡田俊子の家に走った。名簿を借りると、さっそく元従業員たちの家を回り始めた。

ところが、待っていたのは何とも奇妙な体験だった。被害の状況を聞かせてほしいと考えて元従業員たちの家を訪ね、ドアベルを鳴らしていったのだが、予想以上に強固な拒否に出遭ったのだ。罵声を浴びせてくる人もいた。

「帰れ! どうやってこの家を調べ上げた。辞めた会社のこととは言え、悪口を言わせようとするような奴は屑だ!」

実は、怒鳴りつけてきた元従業員については、「劇症肝炎で死の淵をさまよった」という情報を得ていた。元従業員の中でも特にひどい被害を受けた人ではないかと考えて訪ねたのだが、予想外に厳しい対応だった。「ひょっとして、会社から手が回っているのではないか」とも思った。しかし、断られても、名簿にある住所を尋ね歩くしかなかった。

会社はよくしてくれたと話す遺族

柳楽正太郎が死亡した翌年に亡くなった従業員がいた。仮に名前を藤井一郎とする。

藤井一郎の実家を訪ねて来意を告げると、母親が古い公団住宅のドアから半身を出し、

「何を言っているんですか? 息子は会社によくしてもらいましたよ。会社のせいで死んだなんて、そんなことはありませんよ。葬式には社長さんも来てくれましたし」

と言った。

嘘を言っている風ではない。マスコミが 訪ねてきて戸惑っていることは窺えたが、本当に会社に感謝している様子だった。いろいろ説明したが、「洗浄剤? あなたは何を言っているんですか? まったくの誤解ですよ」と迷惑そうな答えが返ってくるだけ。こうなれば、引き下がるしかない。

ふと、片岡の言葉が思い出された。

「あんた、中小企業を知らんやろ」

片岡の言う通りかもしれない。これが日本の中小企業の風土なのだろう、と感じた。

中小企業では大企業とは異なり、従業員同士の付き合いや、社長と従業員との付き合いも、親密で家族に近いものになる。社長は「親父」であり、従業員は社長に直接こっぴどく叱られ、ときには罵倒されることもあるかもしれない。

しかし、その中で、ある種の「一体感」が生まれる。社員が死亡して葬式を出せば、中小企業なら社長が顔を出してくれる。弔問金に心付けが上乗せされることもあるだろう。

当然、遺族は「会社に問題があった」とは考えない。それどころか、「会社にはよくしてもらった」という思いを強く持ち続ける。

この取材は苦戦しそうだ—。私は長期戦の覚悟を決めた。

血の涙を流して死んだ若者

ところが数日後、藤井一郎の別の遺族から私に「話したいことがあります」という電話が入った。さっそく会ってみると、その遺族はこう語り始めた。

「一郎は本当にひどい死に方をしました。生きたい一心だったと思います。泣きながら死んでいきました。最後は、血の涙も流して・・・」

「血の涙?」

何のことかわからず、私は問い返した。

「一郎の手術は成功したのですが、すぐに再発したんです。再発率は7割と言われたので、覚悟はしていたんですが、もう最後は病院側もお手上げ状態。それでお医者さんが言ったのが、『一郎君、もう為す術はないから、胆汁を飲んだらどうですか? それでどうなるとは言えないけれども、何もやらないよりはいいかもしれない』と。

一郎は胆管を切っていたので、胆汁を外に出すための管を付け、それが体の外に出ていました。お医者さんは本当に心配して言ってくれたと思うんですけど、胆汁って、ものすごく生臭くて、飲めるような代物じゃないんです」

藤井一郎は、しかしそれを飲み続けたという。生きたい一心だった。当然だろう。まだ36歳だったのだ。だが、やがて力尽きる。

「一郎の苦しみがひどくなったとき、『コーヒー牛乳が飲みたい』と言い出したので、看護師さんに『大丈夫ですか』と尋ねると、『飲めないと思いますけど、好きにさせてあげましょう』と言ってくれました。それで、コーヒー牛乳を買ってきて、一口飲ませたんですけど、駄目でした。すべて吐き出してしまって、やっぱり飲めなかったんです。その翌日、一郎は息を引き取りました」

そして、血の涙が流れる。

「会社の洗浄剤が原因かもしれないというあなたの話を聞いて、あの光景を思い出しました。心臓が止まったその直後、一郎の目から赤い血が流れ出したんです。一気にね。

もう怖くて、悲しさを通り越して、私も、一緒にいた私の子供も腰が抜けました。あんな恐ろしい死に方をするのは、化学物質が原因となったとしか思えません」

そう話す遺族の目には、涙があふれていた。

異変に気付いても会社に言いだせない

北九州市の産業医科大学。6号館にある研究室で、熊谷はある数字を導き出していた。

600倍—。

SANYO-CYPの男性従業員が胆管がんで死亡する率が、平均的な日本人男性が胆管がんで死亡する率の600倍に達するというのだ。疫学調査として導き出した数字である。

これは後日、さらに精度の高いデータで改めて算出した結果、2900倍にまで跳ね上がった。この会社で行われている何らかの作業が原因なのは明白だった。その事実を、熊谷の地道な調査が証明したのだ。

会社はこの異変に気づいていなかったのか。

当初、私たちの取材申し込みに対して、会社は「弁護士を通してほしい」と返してきた。そこで弁護士に連絡を取ったが、内容ある回答は得られなかった。

この弁護士は最初、片岡らが調査への協力を求めた際、「弁護士法違反の疑いがある」という趣旨の内容証明を送ってきている。取材活動である私たちの申し入れに対しては、そうした対応はなかったが、 事実上の取材拒否を続けていた。

「真摯に事実関係の調査を行っている」

弁護士が出した会社のコメントである。後はどのような質問を送っても、これ以上の回答が得られることはなかった。そうなれば、さらに元従業員らへの取材を広げていくしかなかった。

こうした中で出会ったのが大成幸司である。大成は、会社が現在の本社屋を建てた1991年よりも前に入社しており、99年に健康に不安を感じて辞めるまで、問題の校正印刷に携わっていた。

当時の洗浄剤の使い方や職場の状況などについて、大成は当時の記憶をたどりながら語ってくれた。職場では、従業員の大半がうすうす「洗浄剤が問題だ」と感じながら、なかなか言い出せなかったという。

「会社では『夕会』というのがありました。朝のシフトと夜のシフトが交代するときに行うミーティングです。その夕会の場で、劇症肝炎で長期入院した先輩が『社長、この洗浄剤、おかしいんと違いますか?』と質問したんです。

すると社長は、『何言うてんねん、証拠もないのにそんなこと言うな!』と凄い剣幕で怒った。夕会の後で、その先輩は別室に連れていかれて、社長に罵声を浴びせられていました。みんなそれを聞いているから、もう何も言えなくなったんです」

この話は、他の複数の元従業員からも聞いた。大成の記憶では、このやり取りは97年のことだったという。

この前年、つまり96年には、すでに1人が胆管がんを発症している。翌98年にも、胆管がんで従業員が死亡している。会社は「気づかなかった」としているが、気づくチャンスはあったのではないか。そう思えてならない。

 

会社は気づいていなかったのか?

会社は、少なくとも2004年から05年にかけての時期は、「職場に問題があり、その原因は洗浄剤にある」と認識していた節がある。

前述の藤井一郎の遺族は、怒りを込めてこう語っている。

「一郎が胆管がんで入院した後、会社の総務部長から何度も、『容態を教えてくれ』と言ってきました。一郎が嫌がっていたので、あまり連絡しないでいたら、総務部長は自分で病院に来るようになってしまった。そこで、病院に頼んで一郎を面会謝絶にしてもらいました。

後になって、その時期に、一郎以外にも胆管がんで入院していた従業員や元従業員がいたことを知りました。会社は知っていたはずです。絶対に許せない」

本稿の冒頭で紹介した本田真吾は、この時期から会社の中で、さまざまな”対策”が取られたことを覚えている。

「ある日、会社の幹部が活性炭を持ってきて、印刷機の下に置いたんです。それで、確かに刺激臭は減ったんです。だから、ちょっと安心した記憶があります」

もちろん、活性炭で改善できる範囲は限られている。常識的に考えれば、がんの発症を抑えられるわけでもない。しかし本田は、「会社が何とかしようとしていると感じて、妙に安心しました」と振り返る。

会社はまた、活性炭を置いた同じ時期に、洗浄剤の使い方に規則を設けている。

それまで洗浄剤は、一斗缶で購入したものを、ペットボトルのような容器に入れ替えて使っていた。その容器は印刷機の下に、蓋もせずに置かれていた。その容器に蓋をすることが規則になったのである。また、洗浄剤が染み込んだ使用済みのウエス(汚れの拭き取りなどに使う布きれ)を捨てるバケツにも、蓋をすることになった。

つまり、会社はこの時点で、洗浄剤が従業員の健康を蝕んでいることに、うすうす気づいていたと思われる。しかし、洗浄剤そのものを変更する手立ては講じなかった。会社の説明によると、彼らはこの洗浄剤を06年まで使い続けたという。

会社は、従業員らに胆管がんの発症者が相次いだことについて、以下のようにコメントを寄せた。

「今回の件が判明して以来、会社としては非常に驚いています。亡くなられた方のご冥福をお祈りしますと共に、原因究明が早期になされるよう、会社としてもできうる限りのことを行っています。今後もできうる限りのことを行う所存です」

また、会社としては、現従業員及び退職した従業員に対して健康診断を実施するとともに、職場の環境改善に取り組んでいるとしている。

続く

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