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拉致の記憶~蓮池兄がたどる拉致事件④

弟が消えた柏崎海岸 2015年1月2日 撮影蓮池透

弟が消えた柏崎海岸 2015年1月2日 撮影蓮池透

定年を迎えた両親に弟の失踪が重くのしかかる。そうした中、「日本人カップルの失踪は外国工作機関が関与」という記事が産経新聞で報じられる。しかし続報はなく、やがて記事は忘れられてしまう。諦めきることなく弟を探し続けて憔悴する両親。家族として弟の救出に奔走した蓮池透がたどる知られざる拉致の記憶。その第四弾。

●住民票の職権削除

弟がいなくなって14年後の1992年、父、母ともに定年退職となり毎日在宅が続く生活となった。一日中息子のことを考えているため、両親は急速に老け込んでいくのが眼に見えてわかった。父は頭髪がいっぺんに薄くなった。母も徐々に顔の血色が悪くなっていった。
死体でもいいから出てきて欲しい、お骨にして弔った方が気が楽だとさえ考えてしまう。もちろん、死がはっきりしたときは悲しいであろうが、時間が経過すればある程度気持ちの区切りがつけられるかもしれない。生きているのか死んでいるのか、まったく分からない蛇の生殺しのような状態は我慢できなったのである。
拉致被害者の家族の中には、安否が不明のまま死亡とみなして葬式を出した人たちがいた。また、戸籍が悪用されるのを恐れ抹消した人たちもいた。これは、北朝鮮の関与がほぼ明らかになった後のことだが、いなくなった人の戸籍を乗っ取ってパスポートを取得し、工作員として活動するケースがあったため、止むを得ないことだった。
私の母は、市役所勤務だったことから、失踪期間が長期にわたる場合、役所の権限で住民票から消去される、いわゆる職権消除というものがあることを知っていた。そうならないために母は、弟の住民票を母の妹の居住地である渋谷区に移し、区長に細かい事情を説明する手紙を出すなどして、職権消除を免れた。もし、そのような削除措置が下され住所不定になってしまったならば、本当に弟がいなくなったことになると思ったのであろう。

●産経新聞のスクープ記事

弟がいなくなって2年後の1980年1月、「サンケイ新聞」(当時)が、若いカップルが短期間のうちに何組も消えているという記事を一面に掲載した。新潟、福井、鹿児島での失踪事件、富山での誘拐未遂事件について、「外国の工作機関が関与か」と報じたのである。
記事を書いたのは、阿部雅美という記者で私の両親にも取材したという。柏崎駅に着いた阿部記者は、全く私の実家の場所が分からず、乗り合わせたタクシーの運転手がたまたま実家を知っていたので奇遇にもたどり着けたことができたという。阿部記者は、他の被害者宅も取材しており、相当の確信を持って報道したと語っていた。
私はこの記事を読んで、弟たちの他にもいなくなった若い人たちがいることを初めて知った。だが、その記事を読んでも、弟の失踪が外国の工作機関の仕業だとは、にわかに信じることはできなかった。今考えてみれば大スクープであるのだが、私にも両親にも、弟が外国の機関に拉致されたとは考えられなかったのだ。
この記事は一度続報が出たものの、後を追うマスコミはなかった。結局、この記事に書かれたように、外国工作機関と弟との関係を考えることはできずに終わった。地元では「蓮池の次男坊は、UFOに連れ去られた」と噂されるなど、私たち家族はどうしようもない状況に追いやられた。
母は、横田めぐみさんの事件との関連を考えていたようだが、私は、中学生だった横田めぐみさんの事件は金目当ての誘拐の可能性があると思っていたため、弟のケースとは関係ないと考えていた。

●弟は最初からいなかったことにしよう…

ある日、私は妹にこう話しかけた。
「おい、俺たちは二人兄弟だったことにしよう」
「どういう意味?」妹は戸惑う表情を見せた。
「つまり、だ…薫はいなかったってことだ…」
「薫はいないって、いなくなったってこと?」
「いなくなったんじゃなくて、最初からいなかったんだ」
「最初から?」
「親父やお袋を見ていると、もう辛くてな」
「そういうことね…」
両親は、弟は必ずどこかで生きていて必ず帰ってくるとの思いを持ち続けていたが、手がかりがない状況があまりにも長く続き、塞ぎ込む姿を見るに見かねて私はそう言ったのだった。
しかし、私の言葉はかえって両親を悲しませることとなり後悔したことは忘れない。
「子供は二人だったことにしようよ」
思い切って切り出した私に、母親は顔の表情を変えて言った。
「なんて馬鹿なことを言うんだい…悲しいよ」

●テレビの家出人捜索番組で呼び掛ける

今はもう観ることはないが、かつてはテレビで家出人捜索番組というものがあった。弟が失踪して7、8年後だったと思う、両親は、TBSの番組に出演した。弟の写真を示して、「薫、このテレビを観ていたら連絡ください」とカメラに向かって訴えたのである。しかし全く情報は寄せられなかった。
それから数年後、今度は、日本テレビの同様の番組に出演した。他に4組の家出人家族が出ていて、その人たちには視聴者からどんどん電話がかかって来るのだが、両親のところにはなかなかかかって来ない。ようやくかかってきた電話はの1本は「東京山谷で見た」、もう1本は「名古屋のパチンコ屋で見た」というものだった。いずれも、曖昧な情報であったが、それでも両親は山谷の木賃宿を弟の写真を持って回った。しかし、何の情報も得られなかった。
私は、次の週末の早朝、名古屋を目指し新幹線に乗った。車中で「名古屋といえばパチンコ発祥の地と言われる。一体何軒あるのか」と気が遠くなる思いがした。しかし気を取り直し、到着後手当たりしだいにパチンコ店を巡った。
弟の写真を見せて「この人を知りませんか」「こういう人働いていませんか」と尋ね歩いた。しかし終電になるまでに消息を得ることはできなかった。
(続く)

<<執筆者プロフィール>>

蓮池透
1955年新潟県柏崎市生まれ。東京理科大学理工学部卒業。 東京電力に入社し、原子燃料部部長などを歴任、2009年退社。その間、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長、副代表として拉致問題の解決に尽力。2010年、考え方の違いから同会除名。著書に「奪還 引き裂かれた24年」(新潮社、2003年)、「奪還第二章 終わらざる闘い」(新潮社、2005年)、「拉致 左右の垣根を超えた闘いへ」(かもがわ出版、2009年)、「私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として」(かもがわ出版、2011年)など。

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