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拉致の記憶~蓮池兄がたどる拉致事件②

「捜索願い出したんだって?」
捜索願いを出しても捜索が行われる気配も感じられず、私は確認するように母に尋ねた。
「うん。ただ匿名でね。駆け落ちの可能性はありあせんか?と警察の人に言われたよ」
「何で匿名なの?実名出さなきゃ、警察だって本腰入れて捜索しないよ」
「世間体もあるからさ…しょうがないんだよ」
母もどうしたらよいのかわからないという感じだった。今から見れば「世間体」などと言っている場合じゃないと思われるかもしれないが、失踪の原因が何が何だかわからかった私たち家族にとって、何が正しい選択なのかなどと考える心のゆとりはその時無かった。
2人でいなくなったと分かっていたから、行った先は海岸だろうと考えていた。柏崎の夏場の海岸は波が静かで、夕日が日本海に沈むことから景勝地として知られている。そこはデートスポットであり、子供の遊び場であり、お年寄りの散歩場所でもある。海水浴客が休憩・食事などをする「海の家」も数多くあったことから、私たちは家族で手分けして2人の若いカップルについて聞いて廻った。
その範囲はしだいに広がっていき、柏崎市内を越えて80km離れた新潟市付近まで及んだ。また、「海の家」のみならず海岸近くの季節旅館にも足を伸ばし尋ねて回った。もしかしたら、そこで働いているのではないかと考えたからである。とにかく警察が捜査してくれないので、自分たちで探すしかなかった。両親は仕事が休みの日は、すべて弟の行方を尋ねて回っていた。しかし、まったく消息は得られなかった。

●駆け落ちは考えられない

2人が「駆け落ち」したのではないかという可能性についても考えた。しかし、そもそもまだお互いの両親が2人の交際を知らない段階だったので、親が交際に反対しているなど、駆け落ちの理由が存在しなかった。また、駆け落ちをするには、お金や着替えなどが必要なはずだが、その準備をしていたならば相当大きな荷物を持っていかなければならない。ところが、弟には何の準備もなく、服装は半袖のTシャツにズボンとスニーカーといったもので、なけなしの1万円札を持っていっただけであった。貯金通帳、キャッシュカード、運転免許証、着替えなどはすべて家に残されており、実家のテーブルの上には書きかけの大学の課題レポートが置かれていた。そのような状況が、2人は駆け落ちなどする訳はなく、友達の家で徹夜麻雀でもしていたのだろうと考えた所以である。
前回書いた通り、祐木子は柏崎市内で化粧品会社の美容部員として働いていた。仕事が終わり「今日は薫さんに会う」と告げ、勤務先を後にしたという。夏向きのワンピースを着て、ハンドバッグには財布と化粧品程度しか入っていなかったはずだ。彼女の会社の同僚の話では、遠くへ行くという雰囲気は一切なかったそうである。
何も消息が得られず、まさに雲を掴むような手応えのなさであった。もし身代金目的の誘拐であれば「金を出せ」との犯人の要求があるはずである。そうであるなら警察も本気で動くであろう。しかし、そういったものは一切なく、消息はぷっつりと途絶えたまま…。我々が目に出来るものは薫が持ち出した自転車だけだった。海岸で消えたのではというのは憶測に過ぎず、失踪の現場がどこなのかすらわからず、ただただ、時間だけが過ぎていったのであった。(続く)

<<執筆者プロフィール>>

蓮池透

1955年新潟県柏崎市生まれ。東京理科大学理工学部卒業。 東京電力に入社し、原子燃料部部長などを歴任、2009年退社。その間、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長、副代表として拉致問題の解決に尽力。2010年、考え方の違いから同会除名。著書に「奪還 引き裂かれた24年」(新潮社、2003年)、「奪還第二章 終わらざる闘い」(新潮社、2005年)、「拉致 左右の垣根を超えた闘いへ」(かもがわ出版、2009年)、「私が愛した東京電力 福島第一原発の保守管理者として」(かもがわ出版、2011年)など。


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