ニュースのタネ

調査報道NPO「ニュースのタネ」

サムスン電子の工場でなぜ白血病は多発したのか?(5)  立岩陽一郎

◇サムソンは取材に応じたが・・・

韓国のサムスン電子の半導体工場で働く従業員に白血病などの健康被害を訴えるケースが相次いでいる事件を追ったシリーズ。取材に応じたサムスン電子は、工場に問題は無いと説明した。

本社ビルを撮影したら”尋問”された

この取材を進める上で最も重要だったのが、サムスン電子への取材だった。大阪で胆管がん多発事件を取材したときは、印刷会社は私の取材依頼に応じなかったが、代わりに弁護士が対応した。サムスン電子はどうだろうか?
心配は杞憂だった。取材を申し込むと、サムスン電子は私がソウルに行く前から、電子メールで英文のやり取りに応じてくれた。そしてソウルに到着した8月26日には、メールの相手、すなわち広報セクションの幹部と会うことができた。
名前から、相手が女性であることはわかっていた。同日午後5時に、カンナムのサムスン電子本社のロビーで待ち合わせた。登場したのは、絵に描いたようなスラリとした美人キャリアウーマンだった。ある意味、想像通りといったところだろうか。
アメリカのミシガン大学でMBAを取得したという彼女は、予想通り英語を流暢に話し、予想に反して敵対的ではなかった。本社ビルの地下に広がるショッピングアーケードに連れて行かれ、お洒落な喫茶店で向き合うと、彼女は私が話す取材の趣旨を聞きながらメモを取った。そして、こう尋ねてきた。
「なぜ、日本のNHKがわざわざサムスン電子のことを取材に来るのですか?」
「これは韓国のみならず、日本でも、現代世界のどこでも起こり得る問題だからです。私にはサムスン電子を敵視する意図はありません。私がジャーナリストとして声を大にして伝えたいのは、我々が日常生活で使う多くの製品が化学物質なしには製造できず、その扱いを誤れば、製造ラインにいる人々に深刻な健康被害を及ぼす恐れがあるという点です。
もちろん、サムスン電子が世界的な影響力と知名度を持つ大企業だということは、取材の理由の一つではあります。ただ、大切なことなので繰り返しますが、これはサムスン電子だけの問題でもなければ、韓国だけの問題でもないんです」
彼女は私の意図を理解してくれたらしく、取材に応じる方向で調整すると答えた。そして別れ際には、
「サムスン電子は良いこともたくさんしています。そういう面も取り上げてくれると嬉しいんですけど・・・」
と言って、複雑な表情を見せた。私は「もちろん、そういう面があることもわかっています」と答えた。
このように広報セクションは理解する姿勢を見せたが、実際には、サムスン電子の取材はそう簡単には進まなかった。まず、テレビ報道にとって不可欠な映像取材がきわめて困難であるという事実を、すぐに突きつけられた。
先の広報幹部と会った翌日、サムスン電子本社ビルの外観を撮影に行ったときのことだった。
本社ビルと道を挟んだ反対側の歩道で、カメラマンが撮影用のカメラを構えた。その途端、カメラマンは3人の屈強な男性に囲まれた。彼らはカメラを降ろすよう指示し、「どこの会社から来たのか?」「何の目的でカメラを構えたのか?」などと矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
私はすぐに、日本から来たNHKの取材班であることと、建物の外観を撮影する許可を広報から得ていることを伝えた。すると、「広報の誰の許可か?」と問い返してくる。尋問口調だった。
思わず私は、韓国人のカメラマンに「公道で撮影しているのに、なぜこんなに居丈高に言われなきゃならないんだろう」と日本語で愚痴をこぼした。彼は「サムスンですから」と苦笑いで応じた。
結局、前日に会った広報幹部が説明してくれて、本社ビルの外観を撮影することができた。公道から建物を撮影するという、通常なら1時間もあればできる作業に半日もかかってしまった。この体験に、サムスン電子の、韓国内での存在の大きさを改めて痛感した。
「従業員が化学物質に暴露する恐れはない」
その後、サムスン電子から、亡くなったファン・ユミが働いていたキフン工場を案内するという返事があった。内部の撮影は一切認めないという条件だったが、それでも記者が見る価値は十分にある。ソウルから車で2時間余り、世界遺産の城塞で有名なスウォンを越えて向かったキフンは、サムスン電子の”城下町”だった。
サムスン電子が半導体に本格的に参入することを決めた1980年代に、原野を切り開いて作ったキフン工場。同社の半導体部門の心臓部だ。セキュリティを通過すると、まずは事務棟に案内された。そして、30人ほどが座れる広い会議用テーブルのある部屋に通された。
前述した広報幹部の他、キフン工場の広報部員数人が同席した。全員が女性だった。
最後に、環境衛生部門のトップを務める男性が顔を見せた。彼は英語を理解しなかった。後で知ったのだが、ファン・ユミの死亡に際してサムスン電子側の窓口として対応したのはこのトップだった。彼の対応が父親のファン・サンギの怒りに火をつけるものだったとは、私が見た冷静な物腰からは想像すらできなかった。
彼が席に着くと、司会役のキフン工場の広報部員が、テーブルに設置されたマイクに顔を近づけてこう切り出した。
「今日はお越しくださいましてありがとうございます。まず、サムスン電子の取り組みを説明させていただき、その後でご質問に答えたいと思います」
丁重な対応ではあった。しかし、今回のような、非常に細かい部分まで正確さを求められる取材で、相手の主張を報じるに当たって、プレゼンのような形で説明を受けるのは避けたかった。しかるべき立場の人にインタビュー取材に応じてもらうか、文書による回答をもらう形が望ましい。そうしないと、説明をする側と受ける側の間で認識のずれが生じやすくなり、報道後にトラブルになる恐れがあるからだ。
そのため、会議用テーブルでのやり取りでは、事実関係を確認させてもらうだけに止め、「ファン・ユミの白血病の原因が職場にある」とした裁判所の判断についての見解は、別途、インタビュー取材に応じるか文書による回答で示してほしいと重ねて求めた。すると、インタビューには応じられず、文書による回答を出すというのがサムスン電子の返事だった。私の方はそれで十分だった。(続く)
(この原稿は、「現代ビジネス」に掲載された記事を著者の承諾を得て転載したものです)

<<執筆者プロフィール>>

立岩陽一郎
NHK国際放送局記者
社会部などで調査報道に従事。2010年~2011年、米ワシントンDCにあるアメリカン大学に滞在し米国の調査報道について調査。

Return Top